高度成長
昭和30年から32年前半にかけて日本経済はヤマ場の部分に達しました。インフレなき拡大と言われるように、この時期、日本の経済は、物価騰貴を伴わずに輸出を拡大することができ、国際収支を大幅に改善しました。その背後に海外の好況があったからですが、日本が始まって以来の未曽有の好景気の中で、完全に戦後経済からの離脱を完了し、高度成長への第一歩を踏み出しました。
昭和30年は大都会東京へと向かう若者が多く、彼らは集団就職で故郷を後にしました。春日八郎は別れの一本杉で大ヒットをとばしましたが、その歌詞に、遠い遠い想い出しても遠い空、必ず東京へ着いたなら便り送れと言った人、嫁にも行かずにこの俺の帰りひたすら待っている・・・とあり、東京へ出てきた若い男の恋心を切なく歌っていました。家庭電化時代に入り始めた大都会は電機、食品、薬品、繊維などの業界が上昇気流に乗り、多くの若年労働者を求めていました。農村から大都会へという人口の移動形態は戦前からの傾向であったにしろ、大企業の急成長が以前にも増して活力ある労働力を求めていました。こうした若者達は、幸せは俺らの願い、仕事はとっても苦しいが、流れる汗に未来をこめて・・・とうたごえ喫茶でアコーディオンに合わせて歌っていました。内灘に次いで砂川や小牧、新潟で基地闘争が激しくなり、デモに参加した若者がそのままうたごえ喫茶に流れたりしました。もう一つの若者像は石原慎太郎の太陽の季節にみる湘南に住む太陽族と呼ばれる群像です。彼らの遊びの感覚はヨット、クラブ、バーといったように女性とのつき合い一つにしてもすでに戦後を脱していました。電機洗濯機や電気釜がもてはやされ、トランジスタ・ラジオも発売され、トヨタ自動車はクラウンを世に送りだしました。生活必需品から贅沢品へと、日本人は少しずつ生活感覚や購買行動を変えはじめようとしていました。そのためか、香港を舞台にアメリカ人の新聞記者と英国人と中国人の混血女医のロマンス慕情がテーマの甘いメロディとともに大ヒットしました。次いでジェームス・ディーンの名を不朽にしたエデンの東がまたもや主題曲のロングヒットを生みました。さらに暴力教室ではビル・ヘイリーがロック・アラウンド・ザ・ロックをエレキギターをかき鳴らして歌い、若者ファンを熱狂させました。エデンの東も暴力教室も自我にめざめ、大人との葛藤に苦しみ、爆発する青春を描いていますが、当時の若者には実に刺激的で、とくに後者は内容が暴力的だとして上映禁止をめぐる議論が盛んになります。教育をめぐる話題がこれまた議論になりましたが、それはカタカナよりも先に平仮名を習う事と、小中高の通信簿の成績評価に1から5段階方式を導入することが決定したからです。この年は歴史的には神武景気という高度成長前夜となるものでした。
田舎暮らし
都会暮らしには不満もないが、たまには空気の澄んだ自然豊かな場所でスローライフな生活を楽しんでみたいという田舎暮らし志向派が定年をむかえる世代で増加しているようです。しかし、田舎暮らしをしてみたいだけで、何もする予定の無い人にはなかなか長続きできるものではありません。田舎暮らしは住み始めるまでに、お金などがだいぶ掛かります。車の運転ができることが条件で、車の維持費のお金も必要とされます。親戚などの冠婚葬祭があった場合に出向くのに大変です。住まいにしても土地代金などは都会よりもだいぶ格安ですが、建築費はさほど変わりありません。思わぬ家計の出費になることもあります。住まいを借りる場合であったとしても、住まいの間取りがライフスタイルに合わないということが多々あります。医療機関も近くにあるとは限らず、子育てや育児に手間のかかる子供がいる場合や生活習慣病や健康を害してる人には致命的な問題です。田舎暮らしには自分のライフスタイルに合った地域の選別が重要です。
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